手作り味噌で紡ぐ 家族の絆
(東広島市福富町)
posted on 2020.4.1
text&photo by Takamasa Kyoren
和食に欠かせない調味料の味噌。発酵という自然の力を借り、多くの手間と時間をかけて作る。スーパーで簡単に商品として買える時代にも、農村部には自分の手で家庭用味噌をこしらえる人が少なくない。家族や仲間との味噌作りは、共同作業の喜びと「わが家の味」への自信がにじむ。
米麹の「手入れ」。米粒の塊をほぐし、麹菌の繁殖を促す
田や畑から人の姿が消えた東広島市福富町の冬。毎年、寒さが強まるにつれて人の熱気が高まる場所がある。閉校した小学校の跡地に立つ上戸野(かみどの)地域センター。住民たちが味噌を仕込む拠点だ。
2月初めの朝、調理室には町内で暮らす古川国昭さん(77)たちの姿があった。メンバーは、妻陽子さん(72)たち家族や親族、近所の友人夫婦とその親族たち総勢9人。3日がかりの仕込みの初日は、米麹(こうじ)を作っていた。
「もう何年も続けとるけど、毎年『1年ぶり』の作業になるけえね」
古川さんは、丁寧に書き留めていた前年のメモをめくり、手順を確かめる。
味噌づくりに必要なのは、大豆と麹と塩。麹は、味噌の主原料である大豆を分解、発酵させるための要だ。「役に立つカビ」の一つである麹菌を使って作る。米をカビさせれば米麹、麦なら麦麹となり、それぞれ米味噌、麦味噌になる。
市販の麹は簡単に手に入るが、ここでは麹から手作りする。福富町内で一般の人が麹を作るができる設備を備えているのは、上戸野地域センターだけだという。
「ぼちぼち、始めるか」
古川さんが呼び掛けた。全員で味噌200キロをこしらえる。
蒸し上がった米に麹菌を振りかける古川さん
まず、2日ほど水に浸しておいた32キロのコシヒカリを、4回に分けて蒸す。メンバーはみんな、家事や力仕事はお手のもの。次に蒸す米の準備、大型ガスコンロの火加減の切り替え、3日目に使う大豆の水洗い…。作業のピッチは自然に上がっていく。
「急ぐこたぁない。二つのことをいっぺんに進めんでええけえ」
古川さんがそう言った途端、女性たちが調節していたガスコンロの炎が消えた。
「ほら、見てみい」
「あら、まあ」
調理室に柔らかな笑いが広がる。
米が蒸し上がると、布の上に広げて冷ます。そして「魔法の粉」の麹菌を振りかけ、種付けする。指先でしっかりと混ぜ合わせて、木箱に等分。育苗器を改造したケースに木箱を並べる。菌が繁殖しやすい温度と湿度(ここでは34度と、ほぼ100%)に設定し、ケースのカバーを閉じた。
初日の作業はここまで。全員でテーブルを囲み、お茶をすする。
育苗器を改造したケースで米麹を作る
■息づく「伝え、伝えられ」
「もうみんな、いい年齢になってきましたからね」
古川さんの長女佐々木真弓さん(49)が湯飲みを手に語る。今回初めて、夫安雄さん(48)と共に仕込み初日の作業に加わった。昨年までは力仕事が多い最終日にだけ、手伝いに来ていたという。
「みんなが元気でいるうちに、私らも覚えておこうって」
上戸野地域センターによると、味噌仕込みでの調理室の利用は今シーズン(昨年11月~今年3月)、20グループだった。グループは親族や近所同士、趣味サークルの仲間などさまざまだ。
「福富を離れて暮らす子や孫の世代が応援に駆け付けている姿も、よく見ますよ」
センター職員の原田冷子さん(59)は話す。ここ数年、利用者は増加傾向。市がセンターで開いた味噌作り講座の受講者が、「次の年も作りたい」と新たにグループをつくる動きもあった。新グループを切り盛りするのは、別のグループで経験を積んだ女性。さまざまな世代で「伝え、伝えられ」のリレーが息づく。
大釜で大豆を煮ると、白い泡のようなアクが浮いてきた
■うまさと楽しさに引かれ
仕込み2日目は、「手入れ」と呼ばれる工程だ。麹になりつつある米粒の塊をほぐし、酸素を供給して菌の増殖を促す。
木箱をケースから出すと、米麹の香りがぱっと部屋中に広がった。米粒は白い「菌糸」に覆われ、菌の「呼吸熱」で温かい。
「肌がつるつるになりそう」
「ほんま、手だけ若返るね」
夫婦、親子、きょうだいたちが肩を並べ、木箱を囲んで丁寧に麹をほぐす。「手入れ」は朝と夕方に1回ずつ、行われた。
最終日。2日ほど水に浸けた大豆を、大釜で煮る。お隣り豊栄町産の大豆60キロ。釜から、白い泡のようなアクが
作業は並行して進む。粉雪をまとったように仕上がった米麹を、ボールに投入。煮上がった大豆、塩と混ぜ合わせて「味噌の素」ができた。
蒸した大豆、塩、米麹をしっかりと混ぜ合わせる
真弓さん㊧たちと米麹の出来を確かめる古川さん㊥
ミンチ器にかけて団子状に丸め、ビニール袋を敷いた漬物樽に投げ込む。味噌の間になるべく空気が入らないよう、団子を拳でぎゅぎゅっと樽に押しつける。けっこうな力仕事。「押し手」を交代しながら、次々と新しい樽を埋めていく。おしゃべりのペースも、さすがに落ちる。
「去年は孫らがおって、うるさいぐらいじゃったがのぉ」
佐々木修司さん(81)が笑って言う。昨年の最終日は、次男の安雄さん夫婦の子ども2人も、応援に駆け付けた。今年はそれぞれ学年が上がって忙しくなり、参加はかなわなかった。
ミンチ器にかけた「味噌の素」を丸め、樽に投げ込む
投げ込んだ味噌の素を手で押さえつけ、空気を抜く
樽に詰めた味噌の上に塩を振り、「落としラップ」をかけて袋をぎゅっと縛る。これで仕込みは完了。手際よく片付けを済ませ、最後にみんなでゆっくりと一服する。
「いろんな味噌を食ってきたけど、自分で作る味噌が一番うまいと毎年、思えるよ」
古川さんが、しみじみ語る。
料理好きが高じ、地元の「師匠」から味噌作りを習得して約10年。今は「独り立ち」して毎冬、親族たちと仕込みに臨む。
「それに何より、みんなで作業すること自体、楽しいんよ」
終始冷静な古川さんのほおが緩んだ。手塩にかけた味噌は、発酵が進んだ10月ごろから味わえる。(終)
息の合った古川さんたちのグループは家族、親族、ご近所さんたち
<味噌とは何?>
味噌は、日本農林規格(JAS)による規格がない。消費者庁の「みそ品質表示基準」(2011年10月31日)に、「みそ」の定義が示されている。「大豆若しくは大豆及び米、麦等の穀類を蒸煮したものに、米、麦等の穀類を蒸煮してこうじ菌を培養したものを加えたもの…(後略)」などというもの。
原料の種類や処理方法、配合、醸造期間によって、味や色が違ってくる。おおむね、醸造期間が短いものほど白っぽく、長いものほど赤くなる。
食品需給研究センター(東京)の集計によると、2019年の味噌の生産量は全国で48万1574トン。うち、米味噌が41万2038トンで全体の85.6%を占める。麦味噌は1万5555トンで3.2%。
<味噌の歴史>
味噌の起源は今から約3千年前。古代中国の「醤(ひしお)」とされる。醤とは、今で言う塩辛。動物の肉や魚と塩を混ぜ、発酵させたものの総称だ。日本に伝来したのは7世紀ごろ。その後、中国にはない「未醤(みしょう)」との言葉が文献に登場する。これは日本人が大豆を使って醤に工夫を加えたものと見られ、じきに「味噌」の音に変わったとされる。
<参考文献>
「発酵食品学」(小泉武夫著、講談社)
「発酵食品への招待」(一島英治著、裳華房)
「おもしろサイエンス 発酵食品の科学 第2版」(坂本卓著、日刊工業新聞社)
「日本・食の歴史地図」(吉川誠次・大堀恭良著、NHK出版)